注:本篇为2009年至2011年播出的电视剧《坂上之云》的开场白。电视剧基于司马辽太郎的1968年至1972年出版的同名小说,主要从三个人的视角讲述明治维新到日俄战争的历史。中文翻译基于“琵琶行字幕组”的工作,由笔者整理,日文原文附在后面。

一介小国,正将迎来其开化之期。要说小,大概没有像明治初期的日本那样的小国吧。产业方面,只有农业。人才方面,只有这三百年来身为读书阶层的旧士族。通过明治维新,日本人首次拥有了所谓近代“国家”,所有人都成为了“国民”。尽管还不适应成为了“国民”的人们,作为日本历史上最初的体验者,为这种新鲜感而昂扬不已。如果不去体会这种令人扼腕叹息的昂扬,也就无法理解这段历史。不论是哪个社会阶层、何种家庭出身的人,只要具备了取得一定资格所需的智力和毅力,就可以成为博士、官吏、军人或是教师。这个时代的光明正是源于这种乐天主义。现在看来确实有点滑稽,主要产业就是米和布这样的国家却和欧洲的先进国家一样拥有自己的海军。陆军也是如此。从财政上来说肯定是不现实的。可是不管怎么说,要建立一个近代国家,这本来就是维新设立的总目标,也是维新之后的新晋国民们孩子气的希望所在。

这个故事,正是这个小国在面临与欧洲最古老的大国之一俄罗斯对决时,采取了何种行动的故事。故事的主人公,也可以说是此时的这个弱小的日本。总之,我们要追寻3个人物的足迹。在四国的伊予松山,有三名男子。出生于这座古老城邑的秋山真之,在日俄战争爆发时,制定并实施作战,彻底击溃了被称之为不可战胜的波罗的海舰队。其兄秋山好古,创立了日本的骑兵部队,成就了打败有史上最强骑兵之称的哥萨克军团的奇迹。还有一个人,是变革了俳句、短歌等日本旧有的短诗型,成为诗歌中兴之祖的诗人正冈子规。他们,以明治那个时代人们所独有的劲头,目视前方大步行进,一直向前。如果在坡道之上的蓝天中,有一朵亮丽的白云,他们便会直视目标、登坡而上吧。

まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の間、読書階級であった旧士族しかなかった。明治維新によって、日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。誰もが「国民」になった。不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。この痛々しいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。社会のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格を取るために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも官吏にも軍人にも教師にもなりえた。この時代の明るさは、こういう楽天主義から来ている。今から思えば実に滑稽なことに、米と絹の他に主要産業のないこの国家の連中がヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした。陸軍も同様である。財政が成り立つはずは無い。が、ともかくも近代国家を創り上げようというのは、もともと維新成立の大目的であったし、維新後の新国民達の少年のような希望であった。

この物語は、その小さな国がヨーロッパにおける最も古い大国の一つロシアと対決し、どのように振る舞ったかという物語である。主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれない。ともかくも、我々は3人の人物の跡を追わねばならない。四国は伊予の松山に、三人の男がいた。この古い城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争が起こるにあたって、勝利は不可能に近いといわれたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコサック師団を破るという奇蹟を遂げた。もうひとりは、俳句、短歌といった日本の古い短詩型に新風を入れてその中興の祖になった、俳人正岡子規である。彼らは、明治という時代人の体質で、前をのみ見つめながら歩く。登っていく坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を登ってゆくであろう。